サムライのような上司 |
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大学院を卒業した後、最初の社会人生活は、松下産業に研究生として入ったんです。私の場合は就職ではなく、研究生を募集していたので研究生として入りました。当時の松下産業は今みたいに有名ではなかったです。けれども、幸之助さんのイメージが強かったので、若い人は幸之助さんを「立派な方だ」と思って憧れていったんだと思います。私もその一人だったかもわかりません。幸之助さんとはたくさん会話をしたことがないのですが、幸之助さんは私がいた研究所によく入ってきていました。「やっとるか」とか「ちょっと見せてみ」とか、それくらいの会話はしたことがあります。印象としては、優しさと厳しさの両方を持った人でした。まず、利益第一。「儲からん企業は罪悪や」とか、「おれの会社に損をかけるな」とか、そういう会話が多かったです。「儲からんものを作るな」とかなんか荒っぽい会話でした。でも一方で、お客さんはものすごく大切にされる方でした。代理店さんとか取引企業さんが松下の本社に来られる時はものすごく丁寧に接していて、車が小さくなるまで玄関で下を向いてお辞儀をしていましたね。そういう素晴らしい方でしたね。やっぱり日本では超一級の方でした。松下はちょうど10年間いました。
その後、九州電力の火力発電所所長をしていたうちのおじが「今から電気の時代になるから、松下をやめてうちの会社に来い」と言ってきまして。一旦断ったんですけど、断りきれなくて、それでまた試験を受け直して九州電力の研究所に入りました。九州電力では、7年間、発電所の現場担当や現場の設計図を描いたりしていました。18年目に独立したので、合計17年間サラリーマン生活をしていました。今振り返ると、その当時の上司は大きな印象を与える方がものすごく多かったですね。幸之助さんにしても松下や九州電力の部長さんにしても、みんなサムライのような人でした。こき使われるというか、激しかったですね。礼儀正しく、約束を守って、仕事を最後までやり遂げていました。他の人が欠けても自分が率先して「やりましょう」と言って、やっていた記憶があります。また、ものすごく優しい面もありました。休みの日には釣りに連れてってくれたり。部下思いの方が多かったから、公私ともに勉強になりましたね。今みたいなサラリーマンの通り一遍ではなく、それぞれ個性のある方で、会いに行ったら必ず公私ともにお世話になっていましたね。「飯食いに行くぞ」って連れて行かれて、そこでお説教を乞うたり、いろいろお話を聞いたり。昭和40年代に入って週5日制になってからは、「土曜日家に来い」って言われて。それで家に行っていろいろ遊ばせてもらいましたね。その辺が自分としては一番「侍」というものが身に付いた時期だと思います。
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